改訂版 世紀を超えて~徳澤園140年史~のレビュー

改訂版 世紀を超えて~徳澤園140年史~
改訂版 世紀を超えて~徳澤園140年史~

すでにメールで感想を送りましたが再掲します。

昨日 世紀を超えてー 届きました。昨夜から今日にかけて楽しく読ませていただきました。
私が初めて徳澤園を見たのは昭和36年です。林の中に突然ぽっかりと空間が広がり白樺に囲まれた広場の向こうに立派な建物を見たときこれが桃源郷というのかなと感動しました。この時は時間がなく素通りでしたが、その後機会を見て何回も宿泊し素晴らしい思い出を作りました。私ももう87歳、共に歩いた山仲間はみな消えてしまいました。今後徳澤園に行く機会はないかもしれませんが、この本を読み返し充実した青春時代の足跡をたどりたいと思います。

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N.Tさん

徳澤園は高根の花で予約が取れず、いつも眺めるだけで、昼食を戴くだけの宿でした。近くのロッジに泊まり羨ましく思っていました。小生の抱く上高地は「神降地」で、穂高の神が天から降臨される神聖な地(明神池)であり、人間が汚してはならない高天原のイメージです。
 上高地に牧場が有ったことは知っていましたが、牛馬は一体どこから連れて来たのか分かりませんでした。梓川を遡行するのは余りにも遠く、島々谷を登り徳本峠越えの谷道は、爪のある牛馬には無理です。糸魚川から松本まで続く塩の道は牛が通れる道でした。塩の道のようなルートは一体どこだろうかと思案していました。小生も歩いたことのある、鍋冠山~大瀧山~中村新道のルートなら牛が歩けると考えましたが、気が遠くなるほど遠い。
『世紀を超えて・徳澤園135年史』によると、明治時代の当初は
島々から小嵩沢山へ登り、尾根遠しにジャンクションピークから徳本峠を越えたとあり、納得した次第であります。徳澤の牛番小屋が登山者の山小屋となり牧場が閉鎖され、国立公園に指定され観光地として発展し現在に至っています。
本誌は上高地の歴史を忠実に語る素晴らしい本だと思います。

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兆白さん

小説「氷壁」を読んで、奥又白池を訪ねるべく徳澤園さんに泊まったのは、昭和42年(1967)の秋でした。当時の徳澤園さんは、山小屋ではない、さりとて旅館でもないという感じのところでした。その後は泊まること無く、長い間、涸沢方面との行き帰りに一休みするだけの場所になっていましたが、4年前、実に半世紀振りに泊まったところ、外観からは想像できない、おしゃれなプチホテルになっていたのには驚きました。夕食にステーキが出てきたのも衝撃でした。そのステーキ食べたさに翌年、翌々年と続けて泊まりましたが、実は他にも理由がありました。高齢の身となり、一日で上高地から涸沢まで辿り着くことができなくなってしまい、どうしても途中で一泊する必要にせまられるようになったのでした。
「世紀を超えて」の「徳澤園の85年」の部は、そんな自分の山行歴を重ねながら興味深く、かつ感慨深く読ませていただきました。
一方、前半の「上高地50年」の部は、堅い調査報告書を読んでいるようでいささか疲れました。もう少し柔らかいリズミカルな文章だったらと思います。また、「百次良」「喜藤次」「入四ヵ村」など上條家や地元の人は周知でも、第三者が知らない人名、地名にはフリガナを付けて欲しかったと思います。特に人名については間違った読み方をすると失礼にあたりますので。

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泉岳さん

とても丁寧に梱包されており、マスクまでおまけに入れていただいて温かい気持ちになりました。上高地、いつか訪れてみたいです。

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たたとさん

梅雨の時期、山に行けないこの時期に、背景を知り次回訪れる時にはまた違った目線で見ることが出来、利用することで新な楽しみが増えると思い購入しました。これからじっくり読もうと思っています。コロナと地震と大変だと思いますが、頑張ってください。応援しています。また遊びに行ける日を楽しみにしています。

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くみさん

徳澤園は一幅の自然画によく似合う              2020年6月14日                             MGWV OB 川井宏作

 1961年(S36)5月末、入学(同時に入部)した、明治学院大学体育会ワンダーフォーゲル部(MGWV)の新人錬成合宿でこの地に足を踏み入れた。
新宿発の夜行列車で早朝松本に着き、島々へ。「厳しいぞ!」だけが予備知識で歩き出し、岩魚止めを過ぎ、最後の水場を通過しジグザグの急登に喘いで徳本峠にたどり着く。腹に詰め込んだだけの握り飯を食ってから、かなりの時間が経っている。小梨平15時着が主将命令の制限時間である。
残雪が残る沢筋を尻セードで転がって時間を稼ぎ明神へ。ここからは平地である。
リーダの「走れ!!」の号令で、2尺4寸のキスリングを上下左右に揺らせて走る。
山靴は真新しく足になじんでいないため、踵が大きな靴擦れで痛い。男子12パーティ中、制限時間内到着は2パーティのみ、残る10パーティは「天ツキ50回」の罰則で一日が終わる。
5時起床、6時出発。焼岳を往復して横尾へ向かう。
明神から1時間弱、ちょっと右に曲がると急に空が広がり陽の光が眩しく、地面は広い。
この草原で寝っ転がれたら天国だ!!バテバテの一年生にとって初めての「徳澤」だった。
そろそろここで「一本(休憩)」だろう、と思っていると無言の通過。「錬成」を実感する。
それから4年間毎年同じ時期に通過するが、3年生でリーダになると自分の思いのまま。
行き帰り「徳澤に来たら休む」そんな時、徳澤には二輪草が一面に咲いていて座る所がないことに初めて気づいた。
上條家五代135年の足跡が一幅の自然画を創り出し「生きとし生けるものの安らぎの場、徳澤」となって、今も私たちを心豊かにしてくれる。10代、20代へと、この調和が保たれることを願う!!

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尺取庵 歩さん

偶然ですが 信濃毎日のホームページで
本の存在を知りました。
上高地の本は 木村殖さんの上高地の大將
それ以来の発刊と思います。
自宅待機 外出自粛の昨今ですから
ゆっくり読みます。
徳沢園の奥に 信州大学山岳部が幕営して
居た頃が懐かしいですね
1978年頃ですが・・・・

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涸沢1975さん